『会社はだれのものか』岩井克人/平凡社
昨日で僕も社会人2年目になりました。
時間が経つのは本当にはやい。
こんな感じで、気がついたらもうおじさんになっていて、感受性のようなものが失われていったり、世の中に在る色んな物事に対して違和感とか疑問を感じなくなっていったりするのが怖い。
僕は本当に会社で働くのが嫌で、この1年間いつ会社を辞めてもおかしくなかったし、自分は社会に出て働くべき人間ではないとかしょっちゅう考えていました。それは恐らく今後もずっと変わらないのだろうけど、社会に出て会社で働く中で感じる違和感とか疑問みたいなものって、社会人1年目のときがやはり一番大きくて鋭くて、この先感覚がどんどん鈍っていくんだろうなあと。
人間年をとると、よく言えば丸くなって、悪く言えば麻痺してくるというか諦めちゃうんだと思います。色々なことに。
そうならないためには(正確にはそれを軽減するためには)、その時思ったことを言葉にして残しておくか、自分より若い人と触れ合いをもつ必要がある。そのためのブログです。
1年間働いて感じた思いは整理して文章にしたんですが、あまりに個人的で自分が属する集団の特殊性みたいなものも多分に関係するので、公開するのは控えます。
こう書くと会社で働くことに負の感情しか抱いてない人のように見えますが、今の会社で働かないと得られないものもありました。これも個人的な話になるので控えます。
さて本題。
『会社はだれのものか』を読みました。
「会社とはなにか」という疑問から出発し株主主権主義を批判しています。
論旨は以下
①法人化された会社は法律上のヒトとして会社資産を持ち、経済活動をするが、それを動かす人間がいなければ機能しない。
②会社を動かす経営者・代取と会社との関係は信任関係であり、契約関係ではない。経営者と会社との関係を契約関係とみなすならば、それは自己契約となってしまう。則ち経営者には倫理性が要求される。
③自己利益の追求を原則とする資本主義の中核にあるものは、会社と会社に不可欠な経営者であるが、その関係性は信任によるものであり、倫理性が要求されるという逆説をはらむ。
④法人とは社会にとって価値を持つから、社会によってヒトとして認められる。会社に対して、単なる利潤追求や法的な義務を越えた何かが要求され始めている。
僕も株主主権主義には感覚としては反対したいんだけど、この本で展開されている論には納得できないというか、頭が追いつかなきませんでした。
エンロン事件みたいなのって株主主権主義云々のイデオロギーの問題じゃなく制度欠陥がもたらしたものじゃないの?
それから④にでてくる「社会」ってなんなのかがあまり良くわからなかった。
勉強不足ですね。